「クラシック音楽のセカイ」から、1か月離れてみて。
いろいろ思うところがあり、
そして体調も精神状態も最悪な感じになったりしたので
(簡単に言えば、うつとスランプが同時にきた感じ)
5月末から思い切って1か月、クラシック音楽から離れてみたんです。
「断った」ほど意志のカタいものではなくて、
ららら♪クラシックを見ないとか、OTTAVAを聴かないとか、音楽マニアさんが集うTwitterのタイムラインを覗かないとか、そういったこと。
自分からクラシック音楽の情報を取りに行くのを、ちょっとやめてみたんですね。
自分がパンクしそうで、離れざるを得なかったというのもあるんですが。
そしたら、びっくりしました。
こんなにも情報って入ってこないのかって。
この1か月、「あ、クラシック音楽」って思ったのは
バラエティー番組のBGMで一瞬流れてきたエルガーだとか
グリーグとかの数小節だったり、
「題名のない音楽会」の新MCが五嶋龍さんになったという、ハフィントンポストのニュース。
そして、たまにお見かけする新垣隆せんせい。
…ってコンバットのCMだし。
そりゃあ、私が音大卒ですって言ったら
「ええ!音大…!?」ってなるわ。
クラシック音楽をみんなで楽しみたいんです~って言えば
「ほ、ほう。すごいね、珍しいね」って言われるわ。
こんなにも世界に主張していないジャンルだったとは。
20年以上どっぷりだったから気付かなかった。
いや、それでも、
視野が狭くなってはいけない!と思って、大学在学中から極力「クラシック音楽に普段親しんでいない人たち」とも交流してきてた。
だから、ほかの音大生や業界人よりはいろいろな視点がある…と、多少自負していたにも関わらず。
クラシック音楽と接点がない人の日常って、こんな感じなんだ…。
そりゃ、会話の中で「クラシック音楽」って聞いたら
青天の霹靂みたいな顔されるわけだ。
でもでも、です。
普段全然耳慣れていないにも関わらず、私と話して「クラシック音楽、聴いてみたんだけど…」って言ってくれるのって、社交辞令だとしても凄いことじゃない?
クラシック音楽や音大について質問攻めにされて、飲みの席で話題の中心になれることって素晴らしすぎる。一度はみんな興味を持ってくれる。
「クラシック音楽」という言葉の響きが持つイメージ、ポジティブすぎるでしょ。
人生経験も浅く、とりたてて知識も豊富ではない
「23歳、社会人2年目の私」が、クラシック音楽について発信することについて
すごく無力だと感じること、最近とても悩んでいた。
だれも興味ないでしょって。業界の先輩がたからは鼻で笑われるでしょって。
そうじゃなくて、
発言することそのものに、意味があるんだね。
「普通に」過ごしていたら全く入ってこないなら、
一言でも多く、しつこく「クラシック音楽」と鳴き続けていれば、
それだけで意味があるのかもしれない。
抵抗感や距離感が減って、自然と手に取ってもらえるようになるかもしれない。
「好きな人がいるなら、とにかくその人の視界に入ろう。話をしていなくても、頻繁に目にしているだけで親近感を抱くようになる」って言うしね。
私はこの仕事をはじめて、
「1人でも多くの人と友達になって、まずは私という存在を知ってもらうこと」
をとても大切にしています。
私を認識してもらえれば、「クラシック音楽」も地続きで知ってもらえる。
全然接点がなくたって、1人だけでもその業界で知っている人がいれば、
簡単にその敷居をまたぐことができる。友人に会いに行くような気軽さで。
この考えはやっぱり間違ってないんだな、って、嬉しく思うことができた1か月でした。
貴重な経験が出来ましたが、この1か月の沈黙で迷惑を掛けてしまったかたも多く…。お詫び申し上げます…。
よーし。2015年下半期。