音楽系女子のコン活事情

クラシック音楽に興味はあったけど、機会がなかったあなたへ。【コン活(=コンサート鑑賞活動】おすすめします

クラシック音楽は「特別なもの」?聴いている人は「選ばれし民」ぶってない?

 

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(写真はLFJびわ湖2015のときのもの)

 

先日あげた記事に興味深いコメントをいただいたので、

今日はその話をしようかな。

 

とても読み応えのある、心のこもったものだったので、

すべて引用すると文字数がとんでもないことになりそう。

なので、引用しながら思うところを述べたいと思います。

全文が気になるかたは、前の記事のコメント欄をご覧いただければ。 

 

そのコメントが言いたいことは、要約するとこんなかんじ。

 

「クラシック音楽と接点がない人の日常って、こんな感じなんだ…」って書いてますが、

クラシック音楽のことを特別に思いすぎてませんか?

段接点がない人たちのこと、見下してるんですか?

 

 

 私はクラシック音楽を、特別なものとは思っていません。

「クラシック音楽は至高の芸術」だの、「ポップスよりも優れている」だの、たまにいう人いますが、そう思ったことはありません。

 

あえて表現するなら、私にとって「当たり前のもの」です。

日本人にとって、毎日朝に食べるお米。って感じ。

 

だから

「クラシック音楽と接点がない人の日常って、こんな感じなんだ…」

っていう言葉は、

単純に、たとえばインドに1か月行って、

 

「お米を主食にしていないひとたちの普段の食生活って、こんな感じなんだ…」

くらいの気持ちで書いたのだとわかっていただけたらとおもいます。

 

だって「クラシック音楽と接点がない人たち」、「クラシック音楽に普段親しんでない人たち」にとって、クラシック音楽が日常にあろうがなかろうがどうでもいいことですし、それをあえて、しかし、そのようにおっしゃった意味はなんなのかなと疑問に思ってしまいました。

 

という言葉を頂きましたが、ここで言われている「クラシック音楽」を「お米」に変えたら分かりやすいかと思います。

 

"だって「お米と接点がない人たち」、「お米に普段親しんでない人たち」にとって、お米が日常にあろうがなかろうがどうでもいいことですし、それをあえて、しかし、そのようにおっしゃった意味はなんなのかなと疑問に思ってしまいました。"

 

そのまんまですね。

へぇーインドの人は、私が大好きなお米がなくたって充実した食生活を送れているって知ってはいたけど、

思った以上にカルチャーショックだったなぁ…ほへぇ…そんな感じです。

 

もちろん、お米はタダではありません。

主食にするには定期的に買わなければいけません。買うにはお金が必要です。

 

でも、お米を買う予算がなくて食べられない人のことまで考慮して執筆しようとしたら、

正直、なにも言えなくなってしまいます。というか何が言いたいのか全く分からなくなっちゃいますよね。

 

すべての人の顔色を伺う記事を書くのはもうやめよう、疲れるし。と思った矢先にこういう意見をいただけて嬉しいです。

でも不快にさせてしまったのならごめんなさい。

 

「お米」も、「クラシック音楽」も、

人によっては、なくてもいいもの。たしかにそうです。

でも、あったらもっといいんです。少なくとも私には。

 

ブログって、たしかに全世界に開かれていますが、

個人の意見を発信するメディアだと思っているので、そう書きました。

 

お米って表現、良くなかったかなぁ…。

そこは私の表現力不足です。もうちょっと上手な比喩の方法を考えてみます。

 

 

思ったのですが、このコメントを書いたあなたこそ、

クラシック音楽のことをどこかで「特別」と思いこんでいるのではないでしょうか?

特別だと思うから、つい「お米を買わない人」を「お米を買えない人」と変換してしまって、嫌味に感じてしまうのでは…。

違ったらすみません。考えを教えてください。

 

クラシック音楽に限らず、なんでも同じだと思うんです。

それが野球やサッカーなどのスポーツとするならば(中略)

「今度一緒に試合を観に行こうよ!やってみない?なんてその人たちに急にいわれたら

鷲尾さんだって「青天の霹靂みたいな顔」するんじゃないですか。

突然、興味のないことをいわれたら誰だってキョトンとした表情をするものです。

 

いやー、それはどうでしょう!


サッカーや野球は、日本人として生きている限り、毎日耳にするじゃないですか。

テレビとか新聞とか、毎日何かしらのメディアに触れていれば。

(テレビを日常的に見ない!とか、キュレーションメディアしか読まないよ!っていう人たちのことはとりあえず省きますよ。)

 

試合の様子も、どうすれば勝てるのかもなんとなく知っているし、

ファンの興奮した様子もニュースで流れてくるから、付き合い方というか、温度も分かる。

 

同じスポーツでたとえるなら…なんだろうな、うーん。

おれ、水球選手なんです。水球観に行ってみない!?とかなら、青天の霹靂かなぁ。

単語を聞く頻度がクラシックと似てる気がする。

 

「テラスハウスに出てた人いたよね…? あと、水球ヤンキースってドラマがやってた気がする…」くらい、”どっかで聞いたレベル”という。

 

ぼくがいいたいのは、それがことクラシック音楽のことになるとなぜそのように青天の霹靂みたいな顔を「された」と受けとめてしまうのか、ということです。 

 

 だから、興味が無いことについてキョトンとした顔をした、というわけじゃなく

突然全然聞き慣れない「クラシック音楽」という単語そのものにびっくりした、という認識で書きました。

興味が無い人の反応、私はいやほど見慣れているので見分けることができます。

 

 

さあ、どんどん書きたいことが溢れてきちゃいました。

明日は「私が」また別の切り口から発信します!笑