幼き頃の浅田真央選手、魅せるミュージカルスター、40年後のアルゲリッチ。(「読響サマーフェスティバル2015」レポート)
アートリンクスの井坂さんにお誘いいただき(ありがとうございます!)
読響サマーフェスティバル2015に伺ってきました!
プログラムは、「三大協奏曲」。
ヴァイオリンはメンデルスゾーン、
チェロはドヴォルザーク、
ピアノはチャイコフスキー……という、
人気投票を行えば1番になるような曲ばかり。
料理でいうと、ステーキと寿司とカレーって感じですね。
どれも大人気のメインディッシュが一夜で全部楽しめるなんて、なんと贅沢なのか…!!
音楽でよかったです。ビュッフェならお腹いっぱいになっちゃう!笑
幼い頃の浅田真央選手を彷彿とさせる服部百音さん、ミュージカルスターのごときアンドレアス・ブランテリドさん
ヴァイオリンの服部百音さんは
チラシの写真と似た雰囲気の、ふんわりとしたピンクのドレスを着て登場。
ドレスから伸びる腕の、あまりの華奢さに驚き…!
とても小柄で、ヴァイオリンを構える姿は
まるでオルゴールの人形のよう。
でも、そんな印象も最初だけでした。
着実に決めてくる超絶技巧、ふんわりと清らかに歌われる旋律、”聴衆に魅せること”を過剰に考えていないからこそにじみ出る存在感…。
曲が進んでいくうち、私のなかで服部さんの姿は
フィギュアスケート選手の浅田真央さんと被っていきました。
浅田選手も16歳くらいのころから、ものすごい才能の片鱗を見せつけてくれたけれど
「神童」や「天才少女」と形容するのが憚られる努力家なのは周知の通り。
美しく完璧な演技の節々に見える、苦労と試行錯誤の爪痕。
かといって、力づくで限界まで能力を押し上げたようなギスギスした感じもなく
まだまだ伸びしろを感じさせる、青々とした感性。
(服部さんも、演奏をどんなに賞賛されても舞台裏で「悔しい…!」と泣けるタイプだろうな、と勝手に妄想)
最初に感じたオルゴール人形のイメージは徐々に消え去り、
曲が進むにつれ、名前通りの「百種類もの音」に引き込まれていました。
危なげなく曲を終え、恥ずかしそうにぴょこんと首を傾げたときに、そのギャップにクラっときました。ああ、この子はまだ16歳くらいだった…!
これから服部さんは、長い長い演奏家人生のなかで酸いも甘いも積み重ね、
浅田真央選手のように、毎回味わい深く驚異的に進化していく人になるんだろうなーと思いました。
(下野さんがまるでお父さんのように終始見守っていて、そこも素敵だった…!)
チェロのアンドレアス・ブランテリドさんは、まるでミュージカルスターのようでした。
すらりとした見た目もさることながら、彼自身の声帯から響くかのようなチェロの歌う表現。
佇まいさえ計算されつくされた、魅せることに慣れた青年の色気がそこにありました。
ティーンの服部さんによる無垢な演奏の後だったから、余計にそう思うのでしょうか……。
彼のチェロの音はぼわっと浮き立ってくるけど、自然とオーケストラにも溶け込んでしまう
高級な砂糖のよう。
遙か遠くの故郷を思い出すかのような、郷愁のまなざしが印象的でした。
そして、 注目のHJリム姉さん!
彼女と私のカンケイは、過去記事を参照していただくとして。
都響との共演に続き2度目となるチャイコフスキーのピアノコンチェルトを聴いて、
相変わらず主張のわかりやすい音楽表現をするなーとニヤニヤしてしまいました。笑
彼女が言わんとするところは、
(おそらく)こういうことなのでしょう。
「たしかに、作曲家が生きた時代の空気を敏感に感じ取ることは大事。それを演奏に取り入れなきゃいけないっていう理屈もわかる。
…とは言ったところで、パソコンもMP3もなかった時代なんて、もう私たちは想像できないんだけど?演奏者である私たちが今生きている時代のこと、演奏の中から完璧に取り去れるとでも思うの?
さらに、今の聴衆は、PA全開のバンドサウンドだって、ヘヴィメタルの轟音だって、渋谷の喧噪にだって
耳が慣れてしまっているのよ。
さあ、私たちはどうやって表現すればいいと思う?」*1
今を生きる人たちに、当時の聴衆と同じレベルの驚きをーーー。
彼女のベートーヴェンを聴いても、そんな想いを強く感じます。
読響さんはHJリムさんのそのあたりの主張を、すごく理解して寄り添おうとしているように感じられました。
もしかしたら、下野さんの柔軟性がより影響していたのかもしれません。
トラディショナルな角度から彼女の演奏を記すと、こうなります。
ペダルを濁るほど多用する、音が割れるほど鍵盤をたたきつける、
楽譜に書いていないアーティキュレーションを使いまくってオケを翻弄する。
許せない人は許せないと思うんですよね。
「この曲はこうあるべきなんだ!!」と、自分のなかで音楽世界ができあがっている人ほど。
でもこういう主張を持って演奏をする人が、「面白い」と受け入れられる業界であってほしいなと思ったりします。今は一部の界隈で、でもいいから。
だって、なんか未来があるじゃないですか! そのほうが。
少なくとも私は、ずっと面白がっていたいな、と彼女の演奏を聴いて改めて思いました。
彼女の表現が広く受け入れられるかどうかは、40年後の聴衆のみぞ知る、です。
私の座っている前の席で、ひたすら首をかしげていたおじいさんがいて
ちょっとニヤニヤしてしまいました。
いろんな意見があるだろうけど、姉さんのスタイルを貫いてほしい!
40年後、彼女がアルゲリッチのポジションにいたりして。
読響、素晴らしかった!若いソリスト3人とも、ただ「フレッシュ」と纏めてはいけない味と魅力が存分にあって、下野さんはそれぞれの個性を見事に読響とブレンドさせてた。
ところで下野さんって、すごく料理人っぽい感じ。どんな素材の組み合わせでもぱっと美味しい料理を作っちゃう凄腕シェフ…!
— Hitomi Washio (@hitomi_classic) 2015, 8月 21
*1:これは彼女のセリフではありません。完全な妄想です。全然見当違いだったらごめんなさい姉さん!