音大卒の私が、最初から演奏家になろうとしなかった理由。
5月1日から、ブログで奇妙な連載が始まりました。
「クラシック妄想えんむすび」です。
予告なく急に毎日更新されはじめたので、「迷走してるだろう」とか、「記事埋めだろう」とか、「あのよく分からん詩はなに」とかいろいろ思われていそうですが、
(言われていないけど無言の圧力は感じているよ!)
このコーナー、ずばり
「読者に自分だけの1曲を見つけてほしい!」
という思いを元に書いています。
私には、自分だけの1曲があります。
グラナドスという人が作ったピアノ曲、「演奏会用アレグロ」です。一番最初に紹介したものですね。
出会いの瞬間は、今でも鮮やかに思い出せます。
2月上旬の、まだ寒い日。当時音楽科の高校3年生だった私は、自分の部屋でひとり英語の課題を解いていました。
集中力も散漫になってきたので、気分転換にとMDプレーヤーのスイッチをぽちり。
そこには実技試験曲の候補に先生が選んでくれた、「演奏会用アレグロ」が入っていました。
BGMにするつもりでそのまま課題を再開したのですが、最初のフレーズが耳に流れ込んできた、そのとき。
私の右手は動きを止めました。
目が自然と見開かれ、金縛りにあったように動けない。
びっくりするほど自分好みな、和声展開。メロディーの煌めき。
輝くピアノの音色。蝶のように舞うロマンティシズム。
好きだ、好きだ、…この曲が好きだ!!!
こんな衝撃を、クラシック楽曲で受けたことはなかった…!
曲が終わるまで8分間、私はなにもできませんでした。
ひたすら息をひそめ、曲を耳で追っていたのです。
私は、恋に落ちていました。
それから貪るようにグラナドスの作品をあさり、彼と同じスペイン国籍の作曲家の作品をあさり、同時期に作られた作品をあさり、グラナドスの人となりについて調べ、グラナドスが敬愛した画家について調べ…。
私の世界は、一瞬にして広がりました。
たった1曲、「演奏会用アレグロ」によって。
結果、
「1人でも多くのかたに、この衝撃と、世界が色鮮やかになる感動を伝えていきたい!」と熱望するようになり、
現在、クラシック音楽を書いたり話したりする活動に至っています。
ここまで話すと、たいていの人に
「大学でもピアノを専攻したのに、どうして演奏活動をしないの? その情熱を演奏にぶつければいいじゃない」と言われます。
なんで演奏じゃなく、ライティングや司会業をしているの?と。
恥を忍んで、はっきり断言しましょう。
主張がないんです。私の演奏には。
グラナドスに出会うまでは、ピアノは「ちょっと得意な習いごと」感覚でしたし。
私はピアノをはじめた幼いころから、”曲そのもの”に最も魅力を感じていました。
「素敵な曲に出会ったから、弾きたい。」
「私の演奏を聴いた人に、『弾きたい』のバトンをつないでいきたい!」
発表会後に「仁美ちゃんの弾いた曲、とっても素敵だね!今度私も弾いてみる!」、そう言われるのが「上手」と言われるより嬉しい少女でした。
自分がその曲をどう解釈し表現するかよりも、どうやって曲の魅力をたくさんの人に伝えていくか。
それが練習するモチベーションの全てでした。
「自分の表現を通じて、作品に新たな解釈の可能性を与えたい」とか、
「作曲家の輪郭や当時の生々しい想いを演奏で浮き彫りにしたい」とか、思いもしなかったんです。
先日、中桐望さんのリサイタルのパンフレットに、「彼女は”音楽に奉仕する者”だ」という一文がありましたが、
私の演奏には最も似合わない言葉だなぁとしみじみ思いました。
幼い頃から「奉仕するための演奏」という意識をちゃんともっていたら、どれほど人生が変わっていただろうか!と、今でも思います。
気づいたのが高校3年生、遅すぎました。
猛練習すれば間にあった?
ひとり籠もって練習するよりも、素晴らしい演奏家たちが弾いている知らない曲を聴きあさり、「素敵な曲があったよ!」と、ブログで拡散していくほうが楽しかったのです。
「曲がより魅力的に伝わるなら、自分で弾かなくても良い。」
それが理由です。理由のすべてです。
まあおそらく、当時の私の桐朋での浮きかたからして(笑)
「伝えたくて弾く」という心持ちで演奏専攻をやっている人は、桐朋には多くないでしょう。
ピアノ専攻から解き放たれたいま、私は奇妙な散文詩と共に、曲で妄想を続けています。
ひとつでも多くの作品を、埋もれかけている歴史のなかから掘り起こし、
偶然読んでくれた誰かと、「あなただけの1曲」の、えんがむすばれるように。
はい、最後ちょっと強引でしたね。(笑)
今度はもっと実用的に、妄想えんむすびの活用方法でもお伝えしようかな。
たしかに演奏畑出身だけど、なんだか何者でもない。
鷲尾仁美です。どうぞよろしくお願いいたします。