コーラスグループ・TokyoGleeの公演がアウトリーチっぽくて好きでした(『TokyoGlee第5回リサイタル』レポート)
クラシック音楽業界には、「アウトリーチ」というものがあります。
アウトリーチについて説明しようとすると、この記事がながーーくなっちゃって
とても読めたものではなくなってしまったので、
詳しく知りたいかたは地域創造さんのサイトをご覧ください。と丸投げする。
財団法人 地域創造 -公共ホール音楽活性化アウトリーチ・フォーラム事業
一言で表せば、アウトリーチとは、
「学校や公民館などに演奏家がやってきて、そこにいる人たちに音楽を聴かせる」ことです。
見慣れた場所で、とても近い距離で、お互いの人柄も感じながら、
楽しいトークとともに、生演奏を楽しむことができる。
大きなホールだと、演奏家を遠くに感じるけど、
自分の目の前で冗談を言っていれば、親近感も湧いてくる。
その気さくさが注目され、近年たくさんのところでアウトリーチは行われています。
こんな雰囲気です~。学校の音楽室でやってますね。
アウトリーチは演奏のスキルだけ求められるのではなく、
コミュニケーション力や知識力など、「人としての総合的な能力」が必要。
そのため、コツを掴み、場数を踏まないと難しいと感じる演奏家のかたも多いそうです。
(ピアニストの清塚信也さんとか、素晴らしいアウトリーチをされるんだろうな~)
で、どうしてアウトリーチの話ではじめたかというと、
この前伺ったTheGLEEさんの公演で、アウトリーチをとても上手にされそうなグループを見つけたからでした。
名前は、ずばり「TokyoGlee」。
ピンとくるとおり、ライブホール・TheGLEEさん発のコーラスグループ!
声楽にはとてもこだわりのある、TheGLEEの社長自らが選出しただけあり、
メンバーには芸大、国立、東京音大などを卒業し、今も研鑽を積んでいる若手実力派たちが揃っています。
開演前に配られたプログラムには、
ニックネームや特技、一言など、メンバーの個性が分かるQ&Aがずらり。
大所帯のグループですが、これで一人ひとりのことをバッチリ覚えることができました。
歌われる曲たちは、作曲家の横山淳さんによってTokyoGleeのためにアレンジされています。
さらには、彼らのために書き下ろされたオリジナル楽曲まで。
衣装やステージングにもそれぞれプロデューサーがいるのが分かり、
作りこまれたエンターテインメントの予感に、始まる前からワクワクでした。
公演がはじまって、ばっと11人が横一杯に整列!
全員が一斉に、朗らかに歌い上げてくれると、こちらまで元気がみなぎってくるよう。
(座っていた場所の問題で、向かって右の端にいた松井さんのお顔が全然見えず、写真にも写すことができなかった…申し訳ない…!)
伴奏として、ピアノだけじゃなく、チェロがいたのも印象的。
「12人目の歌声」として、音が朗々と響いていました。
そっと寄り添うように流れる、ピアノの音色も心地よい。
今回のプログラムは、「川の流れのように」や「たしかなこと」など、聴きなれたポップスが中心。
変わり種として、ドビュッシーの「ゴリウォークのケークウォーク」が歌われたり、
女性陣で「キューティーハニー」を振り付き(!)で歌ったり、(ノリノリだけど、みなさんちょっと照れててかわいかった…!)
はたまた、男性陣が「少年時代」をアカペラでしっとり披露してくれたりも。
緩急ある選曲と、目も耳も楽しませてくれるプログラムで、
ニコニコしているうちにあっという間に前半が終わってしまいました。
お客さんとTokyoGleeの心の距離が、とても近いように感じました。
MCでも、専門用語である「バリトン」を
「ベース」と、わかりやすい言葉に換えているシーンがあって、
お客さんのことを考えているからこそできる、細かな配慮が光っていました。
後半は、ピアノとチェロによる「タイスの瞑想曲」でしっとりした空気を誘ってから、
先程ちらっと触れた、彼らのオリジナル曲へ。
TokyoGleeのために作曲されたという「組曲―すべてがいのちの物語―」(松井五郎 作詞・服部克久 作曲)は、
ハーモニーが綺麗な曲で、とても聴きやすく感じました。
朗読つきの曲だからか、言葉がよりストレートに心に飛び込んでくるようでした。
ハイレゾミュージックカードも売っていました!
どの曲を歌うときも、メンバー11人の声のバランスが絶妙で
重なるハーモニーに耳が癒されました。
エンタメ性も芸術性もバランスよく兼ね備えている彼らが、自分の住む場所へアウトリーチに来てくれたら、
きっと、どのアーティストにもまして、親しみを感じられるはず。
飲み友達にだってなれそうな雰囲気さえありますもん。みなさん。
「たくさんの人を一気に惹きつけること」って、意外と難しい。
お客さんを楽しませる工夫が凝らされたTokyoGleeの公演には
さまざまなヒントが隠されていました。
TheGleeでの次回公演も決まっていて、日にちは8月23日。
お昼と夜、2回公演を敢行するらしいです。
コンサート詳細は、TheGleeホームページまで。
ぜひ、目の当たりにしてみてください~!
私は「クラシック音楽」のオタクではありません。
昨日の記事の続きです!
これだけはどうしても言っておかなければいけない、というもの。
鷲尾さんの好きとぼくの好きとではあまりにも次元が違うので一緒にするのは失礼ですが
そう思って頂きやすい仕事をしているわけですが、
私、クラシック音楽、そこまでオタクではありませんのです。
特殊な職業ゆえ、今までに仕事をしている理由を他人に500回以上話してきましたが、
「クラシック音楽が好き」とは、一度も言ったことがないんです。じつは。
「グラナドスの演奏会用アレグロが好き」とか、
「ロマン派のピアノ小品が好き」とか、
「クラシック音楽を愛し、業界で頑張ろうとしている人たちが好き」
とはよく言っているんですが。
毎日ぶらあぼのwebをチェックして、海外のサイトまで読んで、音楽雑誌を隅から隅まで読み、OTTAVAを一日中流し、定期公演の良し悪しをわくわくしながらツイートして…。
どれもやってないです…。
いや、こんな仕事してるからやらなきゃいけないです。業界のトレンド押さえなきゃ生き残れないし。
でも、嬉々としてはしてないです。"やらなきゃいけない"です。仕事です。
ぶっちゃけてしまうと、今までどうしてもピアノ曲やピアニストと接する機会ばかり多かったので、
仕事上の守備範囲は置いておいて、自身が心から興味のあるジャンルって
主にピアノ曲(またはピアノが入っている曲)だけなんですよね。
そう、これね、仕事に支障が出そうだったので今まで黙っていましたが、
特にオーケストラに興味が持てないんです。今のところ、全然。
興味が持てないから知識も入ってこないし、どこの定期会員になったこともないし、
(あ、京響のサウンドは好きです。なんとなくなんですけど。)
だから私より詳しい愛好家なんて同世代でもヒャクマンといます。
活動当初はその事実に絶望したりもしました。
最初は頑張りました。「音大卒だから、なんでもたくさん知っていなければならない!百科事典みたいに!」って。
「池上彰さんのように博学なクラシック音楽ソムリエに、一秒でも早くならなきゃー!!」って。
すぐにはなれません!!ムリ!!!
少なくとも、23歳時点では。
5年ほどもがいて、ようやく認めることができました。
クラシック音楽のセカイって、大きな海すぎて。
大きな海だからこそ、浅瀬でちゃぷちゃぷ楽しんだっていいし、船に乗ってばびゅんと進むのだっていいし、シュノーケリングしたっていいし。
と私は思っているんですが。
「潜ることだけが海を正しく知り、愛する方法である!」と、言われすぎてる気がするんですよね。
作曲家のことを知り、作品をたくさん知り、曲を解析し、隠された意味を読み解いて、
それを頭に叩き込んだ人だけが「正しい」聴き手なのだ!みたいな。
特にオーケストラは知らないと、クラシック音楽ファンって名乗っちゃダメでしょ!!っていう空気。
わたし、いやなんですよぉ~~~~。
もうちょっとフィーリングで楽しんだっていいじゃないですか~~~。
あのメロディーラインがたまらんっ!
あのティンパニのドンドンドンドンが心臓にくる!好きすぎる!
みたいな、もっと野性的な「スキ!」をクラシック音楽に求めたっていいじゃないですか~~~~。
って、心の中でダダをこねているリトルワシオのためにも、
「そういう楽しみ方もあるよね」と気楽に思える人が増えてほしくて、
ブログでは、自由気ままに、批判や嘲笑を恐れず発言します。
いやね、もちろん、オーケストラ関係のお仕事頂いたら全力で頑張りますし、頑張ってますよ!!
仕事は仕事。自分は自分。
自分の気持ちに嘘をついても仕方ないかなって思ったので、もうさらけだすことにしました。
仕事しているうちに、聴くコツを掴んで、ハマっていくかもしれないし。
だから、「普段クラシック音楽と親しんでいない人たち」の気持ちが痛いほど分かるんです。だってわかんないんだもん。
あー、でも、オーケストラのメンバーに知り合いや友人がいると
一気に興味や親近感が増します。
これは前回の「友達になればいい」発言の根拠ですね。
もう一度言いましょう。
クラシック音楽は、特別なものなんかじゃないです。
歴史が積み重なり、スゴイモノになってるだけです。
鳴らされた瞬間から消えゆく音楽が、歌い継がれ弾き継がれ200年以上も生き残ってきたのだから、
そのすごさは、(パッと聞きわからなくても)とりあえず認めるしかない。
だって、何億という人に評価されてきたってことでしょう?食べログ満点5つ星みたいなものですよ。妖気すら漂います。
そう、みんなが最高評価なんてあり得ないってわかるじゃないですか。
ベートーヴェンの第九だって、バッハのマタイ受難曲だって。
今では手放しで大絶賛されていますが、出てきたときはそれこそ、すさまじい賛否が飛び交ったはずです。
時が過ぎたので、著名な人の評論以外は消え去ってしまったけれど、
サロンのなかでも「ベートーヴェンの第九ってほんと糞」とか、「あんな旋律、半年経てばみんな忘れてるわw」とか言ってた人はたくさんいたわけです。おそらくね。
証拠がないから証明はできないけど。
だから、もっと自由に、ね?
でっかいクラシック音楽の海から、お気に入りの貝殻を拾いあつめて、
自分だけの宝物にしましょうよ。
「エライ学者さんには駄作って言われているけど、私は好きなんだからそれでいいじゃないーーー!」
という、人とズレる感性を大切にして、生きていきましょう。生きていきます。
いじょう、鷲尾仁美の主張でした。
反論、どんとこい。
コメントありがとうございました!
クラシック音楽は「特別なもの」?聴いている人は「選ばれし民」ぶってない?
(写真はLFJびわ湖2015のときのもの)
先日あげた記事に興味深いコメントをいただいたので、
今日はその話をしようかな。
とても読み応えのある、心のこもったものだったので、
すべて引用すると文字数がとんでもないことになりそう。
なので、引用しながら思うところを述べたいと思います。
全文が気になるかたは、前の記事のコメント欄をご覧いただければ。
そのコメントが言いたいことは、要約するとこんなかんじ。
「クラシック音楽と接点がない人の日常って、こんな感じなんだ…」って書いてますが、
クラシック音楽のことを特別に思いすぎてませんか?
普段接点がない人たちのこと、見下してるんですか?
私はクラシック音楽を、特別なものとは思っていません。
「クラシック音楽は至高の芸術」だの、「ポップスよりも優れている」だの、たまにいう人いますが、そう思ったことはありません。
あえて表現するなら、私にとって「当たり前のもの」です。
日本人にとって、毎日朝に食べるお米。って感じ。
だから
「クラシック音楽と接点がない人の日常って、こんな感じなんだ…」
っていう言葉は、
単純に、たとえばインドに1か月行って、
「お米を主食にしていないひとたちの普段の食生活って、こんな感じなんだ…」
くらいの気持ちで書いたのだとわかっていただけたらとおもいます。
だって「クラシック音楽と接点がない人たち」、「クラシック音楽に普段親しんでない人たち」にとって、クラシック音楽が日常にあろうがなかろうがどうでもいいことですし、それをあえて、しかし、そのようにおっしゃった意味はなんなのかなと疑問に思ってしまいました。
という言葉を頂きましたが、ここで言われている「クラシック音楽」を「お米」に変えたら分かりやすいかと思います。
"だって「お米と接点がない人たち」、「お米に普段親しんでない人たち」にとって、お米が日常にあろうがなかろうがどうでもいいことですし、それをあえて、しかし、そのようにおっしゃった意味はなんなのかなと疑問に思ってしまいました。"
そのまんまですね。
へぇーインドの人は、私が大好きなお米がなくたって充実した食生活を送れているって知ってはいたけど、
思った以上にカルチャーショックだったなぁ…ほへぇ…そんな感じです。
もちろん、お米はタダではありません。
主食にするには定期的に買わなければいけません。買うにはお金が必要です。
でも、お米を買う予算がなくて食べられない人のことまで考慮して執筆しようとしたら、
正直、なにも言えなくなってしまいます。というか何が言いたいのか全く分からなくなっちゃいますよね。
すべての人の顔色を伺う記事を書くのはもうやめよう、疲れるし。と思った矢先にこういう意見をいただけて嬉しいです。
でも不快にさせてしまったのならごめんなさい。
「お米」も、「クラシック音楽」も、
人によっては、なくてもいいもの。たしかにそうです。
でも、あったらもっといいんです。少なくとも私には。
ブログって、たしかに全世界に開かれていますが、
個人の意見を発信するメディアだと思っているので、そう書きました。
お米って表現、良くなかったかなぁ…。
そこは私の表現力不足です。もうちょっと上手な比喩の方法を考えてみます。
思ったのですが、このコメントを書いたあなたこそ、
クラシック音楽のことをどこかで「特別」と思いこんでいるのではないでしょうか?
特別だと思うから、つい「お米を買わない人」を「お米を買えない人」と変換してしまって、嫌味に感じてしまうのでは…。
違ったらすみません。考えを教えてください。
クラシック音楽に限らず、なんでも同じだと思うんです。
それが野球やサッカーなどのスポーツとするならば(中略)
「今度一緒に試合を観に行こうよ!やってみない?なんてその人たちに急にいわれたら
鷲尾さんだって「青天の霹靂みたいな顔」するんじゃないですか。
突然、興味のないことをいわれたら誰だってキョトンとした表情をするものです。
いやー、それはどうでしょう!
サッカーや野球は、日本人として生きている限り、毎日耳にするじゃないですか。
テレビとか新聞とか、毎日何かしらのメディアに触れていれば。
(テレビを日常的に見ない!とか、キュレーションメディアしか読まないよ!っていう人たちのことはとりあえず省きますよ。)
試合の様子も、どうすれば勝てるのかもなんとなく知っているし、
ファンの興奮した様子もニュースで流れてくるから、付き合い方というか、温度も分かる。
同じスポーツでたとえるなら…なんだろうな、うーん。
おれ、水球選手なんです。水球観に行ってみない!?とかなら、青天の霹靂かなぁ。
単語を聞く頻度がクラシックと似てる気がする。
「テラスハウスに出てた人いたよね…? あと、水球ヤンキースってドラマがやってた気がする…」くらい、”どっかで聞いたレベル”という。
ぼくがいいたいのは、それがことクラシック音楽のことになるとなぜそのように青天の霹靂みたいな顔を「された」と受けとめてしまうのか、ということです。
だから、興味が無いことについてキョトンとした顔をした、というわけじゃなく
突然全然聞き慣れない「クラシック音楽」という単語そのものにびっくりした、という認識で書きました。
興味が無い人の反応、私はいやほど見慣れているので見分けることができます。
さあ、どんどん書きたいことが溢れてきちゃいました。
明日は「私が」また別の切り口から発信します!笑
「クラシック音楽のセカイ」から、1か月離れてみて。
いろいろ思うところがあり、
そして体調も精神状態も最悪な感じになったりしたので
(簡単に言えば、うつとスランプが同時にきた感じ)
5月末から思い切って1か月、クラシック音楽から離れてみたんです。
「断った」ほど意志のカタいものではなくて、
ららら♪クラシックを見ないとか、OTTAVAを聴かないとか、音楽マニアさんが集うTwitterのタイムラインを覗かないとか、そういったこと。
自分からクラシック音楽の情報を取りに行くのを、ちょっとやめてみたんですね。
自分がパンクしそうで、離れざるを得なかったというのもあるんですが。
そしたら、びっくりしました。
こんなにも情報って入ってこないのかって。
この1か月、「あ、クラシック音楽」って思ったのは
バラエティー番組のBGMで一瞬流れてきたエルガーだとか
グリーグとかの数小節だったり、
「題名のない音楽会」の新MCが五嶋龍さんになったという、ハフィントンポストのニュース。
そして、たまにお見かけする新垣隆せんせい。
…ってコンバットのCMだし。
そりゃあ、私が音大卒ですって言ったら
「ええ!音大…!?」ってなるわ。
クラシック音楽をみんなで楽しみたいんです~って言えば
「ほ、ほう。すごいね、珍しいね」って言われるわ。
こんなにも世界に主張していないジャンルだったとは。
20年以上どっぷりだったから気付かなかった。
いや、それでも、
視野が狭くなってはいけない!と思って、大学在学中から極力「クラシック音楽に普段親しんでいない人たち」とも交流してきてた。
だから、ほかの音大生や業界人よりはいろいろな視点がある…と、多少自負していたにも関わらず。
クラシック音楽と接点がない人の日常って、こんな感じなんだ…。
そりゃ、会話の中で「クラシック音楽」って聞いたら
青天の霹靂みたいな顔されるわけだ。
でもでも、です。
普段全然耳慣れていないにも関わらず、私と話して「クラシック音楽、聴いてみたんだけど…」って言ってくれるのって、社交辞令だとしても凄いことじゃない?
クラシック音楽や音大について質問攻めにされて、飲みの席で話題の中心になれることって素晴らしすぎる。一度はみんな興味を持ってくれる。
「クラシック音楽」という言葉の響きが持つイメージ、ポジティブすぎるでしょ。
人生経験も浅く、とりたてて知識も豊富ではない
「23歳、社会人2年目の私」が、クラシック音楽について発信することについて
すごく無力だと感じること、最近とても悩んでいた。
だれも興味ないでしょって。業界の先輩がたからは鼻で笑われるでしょって。
そうじゃなくて、
発言することそのものに、意味があるんだね。
「普通に」過ごしていたら全く入ってこないなら、
一言でも多く、しつこく「クラシック音楽」と鳴き続けていれば、
それだけで意味があるのかもしれない。
抵抗感や距離感が減って、自然と手に取ってもらえるようになるかもしれない。
「好きな人がいるなら、とにかくその人の視界に入ろう。話をしていなくても、頻繁に目にしているだけで親近感を抱くようになる」って言うしね。
私はこの仕事をはじめて、
「1人でも多くの人と友達になって、まずは私という存在を知ってもらうこと」
をとても大切にしています。
私を認識してもらえれば、「クラシック音楽」も地続きで知ってもらえる。
全然接点がなくたって、1人だけでもその業界で知っている人がいれば、
簡単にその敷居をまたぐことができる。友人に会いに行くような気軽さで。
この考えはやっぱり間違ってないんだな、って、嬉しく思うことができた1か月でした。
貴重な経験が出来ましたが、この1か月の沈黙で迷惑を掛けてしまったかたも多く…。お詫び申し上げます…。
よーし。2015年下半期。
音大生に告ぐ。「音楽を愛する人のためのプレゼンテーション会」に聴衆参加しよう!
突然ですが、 「音楽を愛する人のためのプレゼンテーション会」をご存知ですか?
音楽ライターの飯田有抄さんが発案した、この会。
通称「音プレ」といいます。
先月24日に第1回が開催され、聴衆として参加してきました。
イメージは、音楽好き版TEDだそう。
「音楽好き」という共通項でつながる人々が集い、
暮らし・仕事・趣味・奉仕活動などを通じて得られた様々な
発見・閃き・気付きを共有することをねらいとしています。
プレゼンターと聴衆が互いに創造性・想像性を刺激し合い、
一人一人の中に新しい気付きを誘発する場です。
ーー音楽を愛する人のためのプレゼンテーション会サイトより
音プレの登壇資格は、「音楽を愛すること」のみ。
年齢も職業も、制限はありません。
音楽にまつわる話でなくてもいい、ということだったのですが
やはり音楽好きたちの人生には、音楽が深く染みこんでいました。
第1回は、
音楽ライター、会社経営者、通訳、ピアノ講師、音大卒の会社員、音楽ホール広報、不妊カウンセラーの7名が登壇。
(写真は福田成康さんのFBよりお借りしました。)
タイトルにどどんと書いている通り、この「音プレ」、
現役の音大生や音大を志す高校生たちに、ぜひとも聴衆参加してほしいと感じました。
登壇者の職業で一目瞭然ですが、音楽業界のあらゆるお仕事をされているかたが揃っています。
業界で仕事をしていなくても、音楽を愛し、様々な手段で音楽と関わっているひとの話が聴けます。視野が一気に広がりました。
企業説明会のようなポジショントークではなく、ひとりの人間としての言葉が聴けるのは、とても貴重ですし、またとないチャンスです。
しかも、さまざまな話をたてつづけに聴くので
私の脳内でどんどんシナプスが繋がり、新しいアイディアが湧き続けていました。
さらに、「あの人の話がもっと聞いてみたい!」という欲が出てくる出てくる。
その欲や意見を、懇親会で登壇者に直接ぶつけることもできました。
まさに「新しい気付きを誘発する」、刺激だらけの3時間。
「もしかして、私のやりたいことって演奏じゃないかも?」と考え始めた学生にとって、
自分のキャリアプランを練り、ロールモデルを探すのに最適な場だと断言できます。
プレゼンの様子は、近日動画が公開されるそうなので、
多くの人に見てほしいです!
ここまで学生へのおすすめ理由を羅列しましたが、どんな年齢層でも、
クラシック音楽を愛するひとも、ふだんあまり接点のないひとも、
いろんなことを考えるきっかけを与えてくれるはずです。
プレゼンテーションを聴いて、特に印象に残った言葉を
厳選して2つ取り上げてみます。
「知らなくてもいいじゃない」
こちらは音楽ライターの大先輩、オヤマダアツシさんの言葉。
クラシック音楽を専門的に学ばずライター業を始め、「マニアあがり」という出自がコンプレックスだったオヤマダさんは、一時期仕事を辞めることさえ考えていたそう。
そんなときバイエルのCDと出会い、聴くうちに「"知らないこと"を恥じなくてもいい」と、自身を肯定できるようになったといいます。
「オヤマダさんほどの人でさえ、そんなことをお考えになるのか」と驚きましたが、お話を聴き、私が抱えていた悩みまで救われました。
私は高校から音楽科で、桐朋学園大学を卒業しているので、
「音楽を専門的に学んできた人」に該当します。
しかし、肩書に見あうほどの知識もなければ、音楽理論も決して得意ではない。
ピアノ専攻だったとはいえ、どうしてもっと勉強に没頭しなかったんだろうと今は後悔しています。
オヤマダさんの言う「マニアック」な人、たとえばオーケストラサークルや音楽同好会に所属する非音大学生のほうが、私なんかより断然、音盤や演奏に詳しい。
同世代の非音大出身者たちの詳細なコンサート感想文を読んでは、自身へのハードルを勝手に上げ、劣等感をこじらせていました。
でも、その言葉を受けて
「そうか、今知らないのはしょうがない。まずは現状を受け入れ、認めることから始めよう」と、自然と思うことができました。
(オヤマダさんとは、人生経験もキャリアも「月とすっぽん」なのにおこがましい限りですが…。)
「聴き手はイチかゼロかではなく、グラデーションで存在する」
ミューザ川崎シンフォニーホール広報、前田明子さんの言葉です。
「初心者」と「常連」という二極で捉えられがちな、クラシック業界のお客さんたち。
しかし、ファンを増やすカナメとなるのは「2回目に足を運ぶ人」であり、
二極のどちらにもカテゴライズできないお客さんが存在することを忘れてはいけないとおっしゃっていました。
「クラシック音楽のファンを増やしたい」と考えられた、サッカー業界の事例を応用したプロモーションや、お仲間サークルの提案など…
前田さんの口から語られる広報案は多角な視点をもっていて、魅力的で共感するものばかり。
これらの提案がすべて実現されるために、私はこれからどのようなキャリアを積むべきなのか。明確な目標を得て、考え直すきっかけもいただきました。
私にとってのロールモデルがまた一人増えて、とても興奮しています。
このようにですね、プレゼンの内容を全部「自分ごと」として捉えました。
このほかにも、
ピティナの専務理事である福田成康さんの、「音楽(好きなこと)で食っていきたいなら、まず承認要求を満たせ。聴き手を本気にさせるためにお金を受け取るべきだ」という意見はとても心に響いたし、
ピアノ講師のますこしょうこさんのレッスン方法は、創意工夫と愛に溢れていて勉強になることだらけだったし、
そのいっぽうで河本美和子さんの話した「母との確執」では、ピアノレッスンの負の側面が浮き彫りになり、同じ「ピアノレッスン」でもここまで違うのかと愕然としたし、
通訳・翻訳家の藤本優子さんの「訳するときに一番大切にしていることは、(対象に)いちばん美しい姿を与えること」という言葉は、演奏家も編集者にも通じるものがあるなと思ったし、
不妊カウンセラーの池田麻里奈さんが教えてくれた、乳児院の現状にショックを受け、音楽で何かできないものかと考えさせられ、
…と、
プレゼンターそれぞれの言葉を取り上げていたら、1冊の本が書けてしまいそう。
というか、何度でも振り返りたい内容ばかりで
終了後、「ぜひ電子書籍にしてください~」と飯田さんに懇願しました。
何度も言いますが、動画は近日公開されますから!!見てね!!
いずれは私も壇上に呼ばれる日がくるよう、たくさんの経験をして、たくさん考えて、「話を聞いてみたい」と思われる興味深い人間になりたいなと思いました。
飯田さん、素敵な企画を本当にありがとうございます!
ニコ生演奏家のパイオニア、『ピアニストyuri』(「Pianist Yuri × 華麗なるソリスト達との響宴」レポート)
YouTuberやキャス主、ニコ生主などと呼ばれる人が増え、
個人によるネット動画配信が当たり前となったいま。
音楽業界からも、積極的に演奏を配信し、それによって
知名度や仕事を得た人は数え切れないほど思い浮かびます。
ところでみなさん、ニコ生における、クラシックの演奏配信のパイオニア
「pianist yuri」さんって、ご存じですか?
ピアニストYuriとは (ピアニストユリとは) - ニコニコ大百科
私がyuriさんを知ったのは、彼女が演奏配信を始めてほどなくした2011年はじめ。
当時、「なにかクラシック音楽で面白いことやってる人いないのかな」とアンテナをとがらせていたので、すぐにyuriさんの存在に気がつきました。
腰まで届くまっすぐな黒髪を揺らし、情感たっぷりにピアノを弾く若い女性。
画面に流れてくる曲へのリクエストに明るく答え、セクハラ発言をスルーし、
おっとりしたしゃべり口で曲の解説をしている姿を見て、
世間がイメージする「THE★お嬢様ピアニスト」を
ここまで体現し、発信している人がいるのか!!と、衝撃を受けました。
その強烈な印象は、承認欲求でドロドロしていた当時のニコ生主たちとは一線を画する何かがあり、
yuriさんは瞬く間に人気配信者となりました。
ネットを飛び出して企画されたコンサートは満員御礼、様々な人とデュオやトリオを組み、共演相手の知名度も上げていきました。
そしてその様子を、テンションも変えず、逐一配信するyuriさん。
その自己プロデュース力にただただ感嘆すると同時に、
「彼女は何を考えて放送を続けているのだろう?」
という思いも膨らみ始めていたところ、
TheGLEEさんから、yuriさんの公演にご招待頂きました。
フルート、クラリネット、オーボエ、トランペット、チェロ、コントラバス、そしてピアノ…豪華編成です。
TheGLEEさんにここまで楽器が集合したの、見たことない!
公演では、初めての生yuriさんに不思議な気分になると同時に、
画面越しでは伝わってこなかった、彼女の細かな音楽も捉えることができました。
yuriさんの音楽性
ロシアを留学先に選らんだのも納得な、ひとつひとつが粒だった硬質な音色。
フライヤーには、「甘く妖艶な音」と書かれていましたが、
少し違うような…見た目の影響でしょうか?
硬質だけれど、冷たい音ではなく、
共演者の音を受け入れる余裕がありました。
でも、yuriさんはソリストなんだろうな、とも感じました。
ピアニストは、相手によって柔軟に音色や音楽性を変化させるカメレオンタイプと、
どんな相手でも我が道を行けるカリスマタイプがいますが、yuriさんはおそらく後者。
(どちらが良いとかいうことではなく、性質の話)
この前観に行った、鶯谷ファンタジックブラザーズの渡邊くんも同じです。
ペダルが少し多いように感じられたけど、それもyuriさんの個性のうちかなぁ。
なにより、弾き姿を魅せるのがうまくて、さすが映像慣れしてると感じました。
プログラム構成、共演者たち
慣れを感じさせるのは、プログラム構成でも。
ブラームスのクラリネットトリオなど、硬派な曲をメインに据えつつも
各楽器の特長が伝わるコンパクトな曲をジャンルレスに選んでいて
非常にバランスが良く、お客さんの空気がだれることがありませんでした。
※画像はyuriさんのブログ(ピアニストYuriのお部屋)よりお借りしました。
2部の目玉曲は、ラプソディー・イン・ブルー。
クラリネットの川畑麻衣子さんの技巧が冴え渡り、フルオーケストラ版を聴いている気分に。
「『演奏が情熱的だね』と言われます」とMCで語っていた
チェロのピーティ田代櫻さんは、情感豊かで私の好きな演奏をされるかたでした。
コントラバスの篠崎和紀さんと弦2人、安定感をもって合奏を支えていました。
フルートの石田彩子さん、オーボエの取附純佳さん、トランペットの岩波俊光さんは
それぞれソロ曲の選択が多彩で味があり、聴いていて楽しかったです。
MCの独特な魅力
そう、yuriさん、
MCが素晴らしかったんです。
ウケを狙うなど技巧に走らず、まるで今その話題を思いついたかのように話す雰囲気がとても魅力的でした。
上品な語り口でどこかマイペース。笑いを取ろうと思っていないだろうに、言葉のチョイスが絶妙で思わず吹き出してしまうシーンがたくさんありました。
わざとらしさは全くないのに、自然に聴衆を集中させてしまう不思議…。
天性のものなのでしょうか。いやあ、見習いたい…。
ネットで演奏活動することについて
「若い女性演奏家がネットで顔を出し、ファンを増やす(交流する)」ことについて、ネガティブな意見を持っている人も多いと思います。
「容姿に自信があるから、チヤホヤされたいだけ」
「演奏だけで勝負しないのはズルい」
聞こえてくるのは、だいたいそんな言葉。
実際、私も何人か「明らかにチヤホヤされたいが為に露出しているひと」を知っています。
でも、yuriさんは違うのではないか。私がそう感じたのは、終演後にyuriさんと実際すこしだけお話しさせてもらったからです。
(普段は演奏者のかたには声を掛けずに退散しているのですが、yuriさんは出口で一人一人をお見送りしていたため、自然とお話しする形になりました。)
顔を近づけて、はじめましての私の話を一生懸命聞いてくださり、満面の笑みで言葉を返してくれる。
その姿からは、「人によく思われたい」とか、「人に好かれたい」という思惑は微塵も感じられませんでした。
ただただ、演奏を聴いてくれたことへの感謝が伝わってくる笑顔。
ふいに、yuriさんがブログやインタビューで、たびたび発言していることを思い出しました。
普段クラシックを聴かれない方々、知らない方々に、クラシックの素敵な曲を紹介して、
知って頂く事が、そして少しでも「好きだな」って思える曲に出会ってもらえたら、とても嬉しいです。*1
yuriさんの活動の根底にあるのは「私を好いてほしい!」ではなく、
単純にクラシック音楽、そしてピアノへの愛情なのでしょう。
たくさんのピアノ弾きがニコ生に溢れた現在も、ファンが離れない理由が分かった気がしました。
純粋な想いを持って活動している人がちゃんと評価されているのだから、
ベートーヴェン『運命』がサンバ…?「ジャズ界のレジェンド」のクラシック音楽観がなんか面白かった
お世話になっている音楽ホール「TheGlee」のかたから、
「5月24日、『デビッド・マシューズ』という、ジャズ界のレジェンドに登場してもらう。とても力の入った公演なので、ぜひ観に来てほしい」
と、お誘いを頂きました。
しばらく悩んで考えて、返信。
「あの、私、ジャズは全然詳しくないし、
せっかくお呼び頂いても、ツウを唸らせるようなレポートなんて書けそうにないのですが…。」
違うんだよ、と社員さん。
「君を呼んでるのは、クラシック音楽ファンにも彼のサウンドを聴いてみてほしいから。
マシューズは、クラシック楽曲をアレンジしたアルバムも出しているからね」
え、クラシック楽曲をアレンジ?
そもそも、デビッド・マシューズとは。
数々のヒットを飛ばし、グラミー賞も3度受賞しているジャズアレンジャーです。
アメリカ音楽界で不動の地位を確立しているだけでなく、
1984年に出したデビューアルバムは日本でもヒット。以降、よく来日していることから
「日本のジャズシーンにおいて、最もポピュラーな人物」と称されている…らしいです。
申し訳ないのですが、私は存じ上げませんでした…。ブログで嘘言っても仕方ないので正直に。
そこで、ひとまず彼のアルバムを聴いてみることに。
やはり興味はクラシック音楽アレンジなので、これを。
アルバムタイトル、「ボレロ」!
ラヴェル作曲のアレですね。もう、そのまんま。
ジャケットもなんだかクラシックみたいです。
聴いてみてびっくり。
1曲目の「ツァラトゥストラはかく語りき」、もしかしてこれは言われなければ気付けないかも、というくらいさりげない出だし。
タイトルにもなっているボレロなんて、テーマの輪郭を見せながらもどんどん浮遊していきます。
そして極めつけは、ベートーヴェン「運命」のテーマを支える、サンバのリズム!
サンバ…!?
どの楽曲も似たり寄ったりすることが一切なく、確実に”別モノ”へと変身させています。繰り返し聴くうちに、どんどん驚きが増えていくよう。新鮮で面白い・・・!
「一体なにを考えて、このアレンジに至ったのだろう?」と思って調べてみたら、インタビューが出てきました。
ジャズシーンを代表するアレンジャー、デビッド・マシューズが語る「サウンド」とは? (1/4) - Phile-web
一部引用します。
クラシック楽曲をアレンジすることについて、大胆意見が。
各楽曲のイントロの部分はすごく有名で誰でも知っているようなものですが、「真ん中の部分というのは意外と知られていないんじゃないか」と思ったんです。だから「じゃあ、誰も知らない部分は作ってしまおう」と。だからテーマ以外はマシューズ・オリジナルです。
すごい!思いきっています。
無理せずおこなった自由なアレンジが、あのボレロを生み出していたのですね…。
クラシック音楽になじみのある私には、その「知られていない」真ん中の部分が、むしろ新鮮に感じられて面白いです。
「あれ、シュークリームのつもりで食べたら、中身カスタードじゃない!」みたいな。
クラシック楽曲を大胆に変えてしまうことについては、
それぞれの作曲家がどう思うかなんて分かりませんが、もし自分の作品を誰かがその人色に染めてくれたとしたら、自分は幸せだと思います。
もしかしたら一般的なクラシックファンが聴くと怒ってしまう人もいるかもしれませんが、個人的には非常にハッピーになれたので大変気に入っています。
と、朗らか。
「なんとなくクラシック音楽を選んだ」わけではないからこそ、アレンジされた曲それぞれが、ユニークなカラーを持って聞こえるのでしょう。
今回はこのCDを出した「マンハッタンジャズ・オーケストラ」バンドとしての来日ではないので、実際クラシック音楽のアレンジをやってくれるのかは謎ですが、
(語りつくしましたが…。笑)
社員さんによると、ライブのセットリストにジャズ・スタンダードナンバーを多く取り入れてもらう予定らしく、ジャズにあまり接点のなかった私でも、聴きやすそうです。
ところで、マシューズ氏。
大の親日家で、来日数は70回を超える。NYのベルリッツで習っていた日本語は本格的。会話はもちろん、ひらがな、カタカナの読み書きもできる。"熱燗"と"あじのたたき"が大好物で、新宿の"思い出横丁"の常連でもある。*2
すごい、熱燗とあじのたたきが好きなんてオヤジくさい…!笑
(うーむ、好みが合う。)
MCでは彼の日本語も聞けるのでしょうか。日本酒を差し入れしたら喜んでいただけるかもですね。
開催は今週末の日曜日5月24日、昼公演と夜公演の2回。
社員さんいわく、「ほんの少しだけ座席が残っている」とのことなので、興味を持たれたかたはぜひぜひ。
公演詳細とチケットのお求めは下記リンクから。
当日のライブ模様を収録したハイレゾ音源も、お土産についてくるそうです。
私は夜、行きまーす♪